第2問(20分) 次の文章は、山田詠美の小説「眠れる分度器」の一節である。主人公の時田秀美は転校してきて一か月になる。秀美は、子供を親の価値観でしばりつけたくないと考える母親のもとに育った。彼はいつも自分の感じたままに行動してしまうため,教室全体の協調性を重んじる担任の奥村の気持ちを気持ちをことごとく逆なでしてしまうし、クラスの子供達とも親しくなれないでいる。そんなある日、教室で、奥村から「このままだと不良になってしまうぞ」と言われて、秀美は立ち上がって反発する。本文はそれに続く場面である。これを読んで、後の問い(問1〜6)に答えよ(配点50)

  他の子供たちは、強烈な事件の成り行きを (ア)固唾を呑んで見守っていた。子供が教師に逆らうというのを彼らは、初めて、目撃したのだった。彼らにとって、教師は、自分たちの上に君臨する脅威に等しかった。彼らは、教師を漠然と恐れていた。その恐れを少なく感じさせる教師程、彼らの好意をものにすることが出来たが、その分、威厳は失われた。恐れるということは、従うということだった。彼らは、従うことが、どれ程、学校での生活を快適にするかという知恵を身につけていた。両親の口振り、特に母親のそれは、教師の領域を犯してはいけないのを、子供たちに常に悟らせているのだった。そこに、「尊厳に値するもの」というラベルの扱い方を、上手い具合に、組み込んでいた。それ故、子供たちは、そのラベルを剥がすのが、自分に困難をもたらすことに等しいと、本能的に悟っていた。
  親しみ深い教師は、何人も存在していた。彼らを見つけ出すたびに、そっと、子供たちは、ラベルを剥がしてみる。そのことが、教師を喜ばせ、休息を伴った自らの地位の向上に役立つのを知っていたからだ。しかし、糊は、いつも乾かさないように注意している。生あたたかい唾を広げて、不都合を察知すると、すぐに、(イ)休息を封印する
  教師に忌み嫌われる子供は、その方法を知らないのだった。習得してしまえば、これほど便利なものの存在に気付いていないのだった。鈍感さのために。あるいは、知ろうとしない依怙地さのために。 賢い子供たちは、前者を見下し、後者を排斥する。 すると、不思議な優越感に身を浸すことが出来る。優越感は、連帯意識を育て、いっそう強固になって行く。そうなると、もう、それを捨てることが出来なくなる。恐いのだ。教師に対して持つ脅威よりも、はるかに、連帯から、はじき出されることに対する脅威の方が大きいのだ。
  子供たちは、とうに、秀美を排斥しつつあったが、このような事件に遭遇すると、混乱して言葉を失ってしまうのだった。秀美が何の役にも立たない勇気を意味なく誇示しているように思われた。そこまでして、彼が何を証明したいのかを理解するには、子供は子供であり過ぎる。そして、彼を理解しようと試みるには、子供は、あまりにも大人のやり方を学び過ぎていた。
  他の子供と自分は違う。この事実に、秀美は、とうに気付いていた。自分の物言いや態度が、他人を苛立たせるのも知っていた。そのことで、彼は、たびたび孤独を味わっていたが、自分には、常に支えてくれる母親と祖父が存在しているという安心感が、それを打ち消していた。打ち消して、それでも、まだあふれてくる力強さを、保護者の二人から感じていた。そう思うと、学校での出来事など、取るに足りないことのようにすら思えてくる。彼は、自分の帰る場所に存在している大人たちから、自分の困難が、成長と共に減って行くであろうことを予測していた。それは、時間の流れにそって泳いでいけば、たちまち、同種の人間達に出会うだろうという確信に近いものをもたらした。
  過去は、どんな内容にせよ、笑うことが出来るものよ。母親は、いつも、そう言って、秀美を落ち着かせた。自分の現在は、常に未来のためのものだ。彼は、そう思った。そして、ある堤防まで辿り着いた時に、現在は、現在のためにだけ存在するようになるのを予感した。堤防を越えようとするとき、その汗のしたたりは、(ウ)現在進行形になる筈だ。それまでは、どのような困難も感受するのが、子供の義務だと、彼は思った。くだらない教師に出会うのは身の不運、素晴らしい教師に出会うのは、素晴らしい贈り物。彼は、そう自分に言い聞かせる。すると、必ず、心の内に、前の小学校の白井教頭の顔が浮かぶのだった。
  秀美は、祖父の次に白井教頭を愛していた。彼は、子供たちに、自分を見くびらせるという高等技術をもって接していた。けれど、誰も、本心から白井を見くびるものはいなかった。見くびらせて子供と親しくなろうという魂胆を持った教師は、少なくなかったが、子供たちは、うわべのたくらみは、すぐに見抜いた。好かれようと子供に媚を売るのではなく、子供たちと同じ視線でものを見てみたいという、純粋な欲望から、彼は自らを気やすい者に仕立てていたのだった。そして、その姿勢は、好ましいものに、子供たちの目には映った。子供たちの世界で、やはり、嘘は罪であり続けるのだった。
  秀美と数人の仲間は、休み時間や放課後、用もないのに、校長室の前をうろついた。そこに、白井教頭がいることが多いからだった。運良く、校長が不在の時、彼らは、中に入り、白井と話をすることが出来た。
  秀美は、彼に、こんな質問をしたことがある。
  「生きてるのと、死んでるのって、どう違うんですか?」
  白井は、笑って、秀美を見詰めた。秀美の連れていた他の子供達も、興味津々という表情を浮かべて彼の答えを待っていた。
  「先生は死んだことないから、正確なことは解らんが、考えてみることは出来るぞ。きみたちは、どう違うと思う?」
  子供たちは、口々に、叫んだ。
  「心臓が止まっちゃうこと!」
  「お墓が自分の家になること!」
  「息が止まること!」
  「えーと、えーと、天国の住人になること!」
  「ばーか、おまえなんか、地獄に行くんだい」
  「冷たくなって、動かなくなること!」
  「食べ物を食べなくてもすむこと。ピーマン食べなくてすむんだ」
  「お墓にピーマン入れてやるよ」
  「うるせえ」
  まあまあ、と言うように、白井は、子供達を制した。
  「なかなか、当たってるかもしれないぞ。でもな、心臓が止まっても呼吸が止まっても、お医者さんは、死んだと認めないこともあるんだぞ。それだけでは生き返る場合もある」
  白井の言葉に衝撃を受けて、子供たちは顔を見合わせていた。信じられなかった。どうやら、死ぬのには、いろいろな条件があるらしい、と悟ったのは、この時が初めてだった。
  「先生はどう思うんですか?」
  秀美は、もどかしそうに尋ねた。すると、 微笑を浮かべて、白井は、自分のワイシャツの袖をまくり上げて、腕を出した
  「先生の腕を噛んでみる勇気のある奴はいるか?」
  意外な質問に、子供たちは、驚いて言葉を失っていた。
  「ぼく、やります!」
  秀美は、あっけに取られる仲間達を尻目に、いきなり白井の腕に噛みついた。
  「もっと、もっと、手加減しないでいいぞ。何だ、時田、おまえの歯は入れ歯か? ちっとも、痛くないぞ」
  秀美は、むきになって、上顎に力を入れた。白井は、さすがに、苦痛を感じたらしく、顔を歪めた。
  「いててて、降参、降参、すごいりっぱな歯だな、時田のは」
  白井は、ゆっくりと、力を抜いた秀美の口を、腕から外した。そこには、歯の跡がくっきりとつき、血が滲んでいた。
  「わあ、血が出てる」
  誰かが呟いた。 秀美は、自分の唇を指で拭った。口の中が生暖かく、錆びたような味が漂っていた。
  「どうだ、時田、先生の血は?」
  「あったかくって、ぬるぬるします。変な味がする」
  「それが、生きているってことだよ」
  白井の言わんとすることを計りかねて、子供たちは顔を見合わせた。秀美は、軽い吐き気をこらえながら、白井の次の言葉を待った。
  「生きてる人間の血には、味がある。おまけに、あったかい」
  「じゃ、死ぬと味がなくなっちゃうんですか?」
  「そうだよ。冷たくて、味のないのが死んだ人の血だ」
  へえっと、驚きの声が上がった。
  「だからな、死にたくなければ、冷たくって味のない奴になるな。いつも生きてる血を体の中に流しておけ」
  「どうやったら、いいんですか?」
  「そんなのは知らん。自分で考えろ。先生の専門は、社会科だからな。あんまり困らせるな。それから、時田、このことも覚えとけ。あったかい血はいいけど、温度を上げすぎると、血が沸騰して、血管が破裂しちゃうんだぞ」
  秀美は、曖昧に頷いた。味のある血。この言葉を、もしかしたら、自分は、生涯、忘れることはないのではないか。そんな予感が胸をかすめた。吐き気は、もう、とうに治まっていた。それどころか、 喉に移行する不思議なあたたかさを、いとおしくさえ思っていた

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問1 傍線部 (ア)〜(ウ) の表現の本文中における意味内容として最も適当なものを、次の各群の1〜5のうちから、それぞれ一つづつ選べ。

(ア) 固唾を呑んで

  1. 声も出ないほど恐怖に怯えながら
  2. 何もできない無力さを感じながら
  3. 張りつめた様子で心配しながら
  4. 驚きと期待を同時に抱きながら
  5. 緊張した面持ちで不快に思いながら

(イ) 休息を封印する

  1. 子供が教師から「尊厳に値するもの」という威厳を奪いとること
  2. 子供と教師が互いを「尊厳に値するもの」と認めて連帯し合うこと
  3. 子供と教師が互いを「尊厳に値するもの」と認め合う関係を放棄すること
  4. 子供が教師を「尊厳に値するもの」としての存在に復帰させること
  5. 子供が自分を「尊厳に値するもの」として級友に認知させること

(ウ) 現在進行形

  1. 未来のために現在を越えようとする状態
  2. 現在を生きること自体が目的である状態
  3. 現在が現在のままであり続ける状態
  4. 現在が未来に向けて開かれている状態
  5. 未来が現在の困難を癒してくれる状態

問2 傍線部 賢い子供たちは、前者を見下し、後者を排斥する」とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の1〜5のうちから一つ選べ

  1. 教師を喜ばせるための秘訣を知っている子供たちは、クラス内で自分の地位を向上させようとしない子供を見下し、教師のいうことを聞かない意地っ張りな子供を排斥するということ。
  2. クラス内で安定した地位を占めることが出来た子供たちは、自分達に媚びる子供を見下し、頑なに自分達に反抗する態度をとり続ける子供を排斥するということ。
  3. 自分が教師よりも利口だと思っている子供たちは、無神経に教師の領域を侵してしまう子供を見下し、いつまでも子供らしいままでいようとする人間を排斥するということ。
  4. 学校での生活を快適にするための術を心得ている子供たちは、表立って教師に逆らうような子供を見下し、クラスの連帯意識の重要性に気がつかない子供を排斥するということ。
  5. 教室の中で上手く立ち回るための知恵を身につけている子供たちは、教師との関係に対して不器用な子を見下し、自己主張を曲げない子供を排斥するということ

問3 傍線部 彼が、何を証明したいのか」とあるが、ここで「彼」が明らかにしたかったのは、どのようなことと考えられるか。本文全体の内容をふまえて、最も適当なものを次の1〜5のうちから一つ選べ

  1. 自分たちは、学校という場に拘束されており、子供であるということを理由にどれほど教師の脅威にさらされ、個人としての人権を無視されているかということ。
  2. 担任の奥村が、子供たちと同じ視線でものを見ていきたいという純粋な欲望を持ち、血の通った人間として互いに接しあえる教師であるかどうかということ。
  3. 都合のいいときだけ子供の世界に歩み寄ろうとする担任の奥村のやり方は、教師としてふさわしくないのだから、自分が反抗するのは正当な行為だということ。
  4. 時が過ぎればどんなことも笑い飛ばすことができるようになるといって自分を安心させてくれた母親の言葉が、学校という場でも通用するかどうかということ。
  5. 担任の奥村は、クラス全体に自分の考え方を浸透させるために、わざと自分を見くびらせて子供と親しくなろうという魂胆を持った教師であるということ。

問4 傍線部 微笑を浮かべて、白井は、自分のワイシャツの袖をまくり上げて腕を出した」とあるが、この白井の行動には、どのような気持ちがこめられているか。その説明として最も適当なものを、次の1〜5のうちから一つ選べ

  1. 秀美には自分の中に興味や疑問が生じると性急に答えを求めたがる傾向がある。そんな彼のことを好ましく思いながらも、秀美の心のはやりをなだめ、一緒にみんなで考えるきっかけを作ろうとする気持ち。
  2. 心臓や呼吸が止まっただけでは人間の死とはいえないという話をしたことで、子供たちの表情はそれまでにない真剣なものに変わった。そこで、この場を利用して子供たちに人間の生命の大切さを理解させようとする気持ち。
  3. 子供たち自身でものを考えるように会話をしむけることで、とりあえず子供たちの興味を引きつけることはできた。しかし、秀美だけは納得がいかない表情なので、わざと彼の勇気を試すようなものの言い方をして挑発する気持ち。
  4. 人間の生と死にまつわる問題を子供たちと考えるのだから、いいかげんな理屈ではぐらかすわけにはいかない。だが、子供たちの目の前で、どうしたら生きていることの証を見せてやることができるかどうかと思案する気持ち。
  5. 好奇心が旺盛なくせに、普段は子供たちの仲間に入っていけない秀美が、いまやっと心を開こうとしている。絶好の機会だから、もっと彼の注意を引きつけて、人と人とが深くかかわっていくことの楽しさを教えようとする気持ち

問5 傍線部 喉に移行する不思議なあたたかさを、いとおしくさえ思っていた」とあるが、ここでの「いとおし」さとは、どのようなものか。その説明として最も適当なものを、次の1〜5のうちから一つ選べ

  1. 自分はいままで親しみを持てる教師と出会うことがなかったため、学校の中ではいつも孤独だったが、白井によって初めて生きるということの意味を教えられた。ここでの「いとおし」素晴らしい先生との出会いの感動をいつまでも忘れたくないという気持ちである。
  2. 温度を上げ過ぎると、血管が破裂するぞという警告を受けて、秀美ははじめて自分がいかに学校内で先走った態度をとっていたかを思い知らされた。ここでの「いとおし」さとは、こうして新たに成長した自分を大切にしようとする気持ちである。
  3. 喉を通り過ぎていく血の温かさを通して、秀美はそれが自分の体内にも流れており、結局、人間はみな平等なのだということを悟った。ここでの、「いとおし」さとは、白井とのやりとりのなかで気づくことのできたその感動を、記憶にとどめたいという気持ちである。
  4. 多くの教師たちは、うわべだけのやさしさをただよわせながら子供たちの世界に侵入してきたが、白井だけは本気で自分を心配してくれた。ここでの「いとおし」さとは、そんな白井の存在をいつまでも身近なものとして感じていたいと思慕する気持ちである。
  5. はじめは錆びたようにしか感じられなかった血の味が、しだいに生きていることを実感させる味へと変化してきた。ここでの「いとおし」さとは、白井の教えを通して、生命のもっているあたたかさにふれた喜びを大切にしたいという気持ちである。

問6 本文の特徴を説明したものとして最も適当なものを、次の1〜5のうちから一つ選べ

  1. 教師に上手く対応できる微妙なバランス感覚に優れた子供が優越感を抱き、それに従わなければ排斥されるようなクラスの人間関係を、子供本来のあり方から逸脱するものとして批判的にとらえる主人公の心理が描かれている。
  2. くだらない教師たちとの出会いを身の不運と考え、教室の中ではそれを甘んじて受け入れようとしながらも、思わず血を沸騰させて、担任の奥村に逆らう主人公の心情が回想場面をまじえながら描かれている。
  3. 大人のやり方をまねてクラス内での地位向上をはかろうとする子供たちのずるさを敏感に見抜き、自分自身が成長していくことで、そのような嘘の世界に見切りをつけてやろうと考えている主人公の姿が描かれている。
  4. 教師の権威に屈服しつつ集団の連帯意識を強めようとする子供たちの世界を、未来のために越えなければならない堤防のようなものとして考えていた主人公が、周囲の人々の愛情に支えられて成長のきっかけをつかむ姿が描かれている。
  5. 教師に張りつけるラベルの扱い方や、子供たちの連帯意識からはじき出される孤独感には無頓着で、自分自身の信念に基づいて独自の立場を堅持していこうとする主人公の意思が、具体的なエピソードを通して巧みに描かれている。
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